Q:最初はトロッコだけを見に行かれたんですよね?
監督「最初は大正時代の家屋が残っていると聞いて、それを見に行ったんですが、まず熱帯雨林というか…植物がぜんぜん違うんです。それに、教えてくれた人たちは日本語が話せて『これを作ったのは皆、日本人なんだよ』と言うので、『え?それはどういうことなの?』と。その辺は不勉強なところがあって、僕はあまり知らなかったんです。それを教えてもらって話を聞く内に、彼らの人生を聞くことになり、それを聞いている内にこれはすごいなと思いました。大正時代の『トロッコ』を作るよりも、現代の台湾での物語にした方が面白いなと思ったわけです」
Q:台湾映画はご覧になっていましたか?
監督「観てましたけど、台湾の人が撮る映画と日本人が台湾を撮るのでは違うものになるだろうという確信があり、それも面白いだろうと思いました。歴史的なことでいえば、ホウ・シャオシェンの撮ってきたような映画もありますが、今の若い人たちはホウ・シャオシェンどころか台湾についても何も知らない人が多いと思うので、それを知るきっかけとして、日本の教育を受けたおじいさんがまだ日本語を話しているというのは入りやすいと思いました」
Q:脚本が何度も変わったそうですが、それはバランスをとるためでしょうか?
監督「そうですね。彼らの話を聞くと凄い力があるので、どうしてもそっちに流れていってしまってテーマがぶれるんですよ。もともとは芥川の「トロッコ」をやりたくて、母と子の再生というのをやりたかったので、どうすればバランスを作れるかというと、いろんな要素を削ぎ落とさなくてはならなくなり、そこに立ち返ったということですね」
Q:最後に台湾から戻ってきたものが最終稿になったということですが。
監督「脚本家が入って来て、僕が書いたものに彼らの視点が入ってきたのが1つ。撮影している最中もスタッフはほとんど台湾の方なので、彼らの前提のもとで物語はセッティングされているし、役者たちの行動も台湾ではあたりまえのように動いている。たとえばそこで、夕食のシーンで箸の置き方を直すシーンがあるんですね。敦が箸を縦に置こうとすると『台湾ではこうやるんだよ』とおばあちゃんが教えてくれるとか…ああいうことの連続なんですよね。あれは脚本にあったのではなく自然に出て来たことで、そういうことがこの映画の結晶みたいなところがあって、日本人があたりまえと思っていることと、台湾の人たちがあたりまえと思っていることを融合したときに、どういう化学反応が起こるかっていう感じで進んでいきましたね」
Q:では自然に撮っていったんですね?
監督「なるべく子どもの生理に合わせて。平成の日本の子どもが向こうにドンと置かれた時に、どういう感情になっていくかっていう風に。いろんなものを削ぎ落として、彼ら自身が素直になっていくというのをどういう風に見せれば効果的かという…」
Q:子どもたちの変化は髪型にも現れていましたね。オーディションで選ばれたということですが、2人を選んだ決め手は?
監督「感性ですね」
Q:特にお兄ちゃんの敦役を演じた原田くんは印象的です。
監督「彼は本を読む子で、芝居してみてと言った時に間を作るんですよ。まず自分の中に感情を作ってから動くんです。あのくらいの普通の男の子だと、言われたままにすぐ動くだけなんですが、彼はその時の気持ちを考えて、気持ちができてからそれから動き出すんです。それってなかなか教えられないというか、彼の中にそういう部分がないとできないことなので。彼は本をたくさん読んでいるので、想像力があるんです。それが1番の決め手でした」
Q:お兄ちゃんについ感情移入してしまいますね。弟がかわいいので、皆そっちについいってしまうし…。あえて、そうされたのでしょうか?
監督「彼ははっきり出てますよね。顔だちもいいし、感情をすぐ出すんですよね。だからそれが面白いなと思って。実際は長男ですけど、次男をやらせてみました」
Q:対比がよく出ていましたね。
監督「原作では良平がひとりなんですけど、映画で良平の感情を表すのは難しいので弟を付けて、弟が感情を出してすぐ泣くとか笑うとか。それを見ている兄貴、というのを想像させるために兄弟にしました。ナレーションとかをあまり使わずに内面をいかに描くかというのが映画では難しいので、なるべくどうやれば良平に感情移入できるかなあと考えると、弟を連れて行くことになったんです」
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