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asicro interview 91

更新日:2025.12.15

ネリシア・ロウ監督

真っ赤なワンピースが似合います

 フェンシングのお話が続いたので、ここからは映画のお話に。

*注:映画の結末に触れていますので、まだ映画をご覧になっていない方、結末を知りたくない方は、観賞後にお読みください。

Q:兄はサイコパスと言われていますが、はっきりとは描かれていません。むしろ、愛情深い面もあり、ほんとうに悪い人なのかな?と観客も思ってしまうのですが、あえてこのように描かれたのでしょうか? その意図は?

 監督「兄のキャラクターは白か黒かでかたづけられるものではありません。演じたヨウニンにはテッド・バンディ(1970年代にアメリカに実在したシリアルキラー)のドキュメンタリーを見てもらい、どういうキャラクターなのかきちんと理解してもらいました。他の人に自分の気持ちを悟られないためにはどんな風に歩くか、というのも話し合いました。弟と一緒のリラックスした時には普段の彼の歩き方でもいいけど、他の人に気持ちを悟られたくない時はもう少し硬い感じで歩くのではないかと、その歩き方を学んでもらいました。

 「恋をする躰/Written on the Body」(ジャネット・ウィンターソン著)という本の中に「自分の好きな人が自分をこんな人だと言うと、そんな風になってしまう」という一節があります。弟は兄のことを完璧で理想的な兄だと信じたい。そういう気持ちがずっとあり、兄がほんとうに殺人犯かどうかはわからないけど、兄はほんとうにいい人なんだ。自分のことを好きなんだと信じたい。それによって、兄の方もサイコパス的ではあるけど、弟に対してやさしい部分があったり、愛情と言えるかどうかはわからないけれども、なんらかの感情があるというのはわかるし、そうなっていきます。

 そういう感情を持ってはいるけど、結局、最終的に弟から「お兄ちゃんは殺人犯だ」と言われてしまい、それによって事件を起こします。もし、弟のことをどうでもいいと思っていたら、何を言われようとかまわないでしょう。でも、兄も弟に慕われて何らかの感情が芽生えているので、結局、弟の言葉で自制心を失ってしまう。だから、彼は善悪がはっきりとしているわけではないのです」

Q:ラストの驚きの展開は弟から兄への問いかけなのでしょうか?

 監督「この映画は最初から最後まで弟の旅路を描いています。兄は自分のことをどう思っているのか?ほんとうに愛しているのか?殺人犯なのか?それは、彼が兄のことをとても慕っていたからです。しかし最後には、兄がどんな人でも兄への愛情は変わらないと悟ります。いびつな関係の兄弟ですが、弟の兄への気持ちは変わらないのだと気づく。そこで彼が兄を救おうとするのです。

 映画全体としては、夢か現実かわからないような作りになっています。最後のシーンも弟の想像かもしれません。でも、彼はそうしたかったということなのです。弟役のリウ・シウフーの演技は素晴らしかった。「川で溺れた時、兄は自分を助けたかったのかどうか。そんなことはもうどうでもいい」というセリフがありますが、リハーサルの時、シウフーはヨウニンの手を握ったんです。脚本にはなかったのですが、多分本能的に握ったのでしょう。それは、兄が好きだからというよりは、兄を落ち着かせるために握ったのです。それがとてもシンプルで美しかった。リハーサルでそれを見て、素晴らしいと思いました。

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ジージエは最後に自分の覚悟を示し兄の手をとる

©2Potocol_Flash Forward Entertainment_Harine Films_Elysiüm Ciné

 私にも自閉症の兄がいるのですが、いつも兄の手を握っていたことを思い出しました。兄が私のことを好きで手を握ってくれていると思っていたのですが、実は、兄が逃げないように私がいつも兄の手を握っていたのです。そういう子供の頃のことを思い出しました。この映画には「手を握る」というシーンがたくさんあります。川で助けられる時も、フェンシングの試合の前にも握手するシーンがあります。カメラマンは撮影の時、時間がないので「これ必要?」と言うのですが、それは絶対必要でした。誰が誰の手を握るか、というのはとても重要なんだとずっと伝えていました」

Q:主演の2人はとても似ていて、兄弟役にぴったりだと思います。キャスティングはどちらが先に決まったのですか?

 監督「演技には「その瞬間に生きる」というマイズナーメソッドや、スタニスラフスキーシステムなどがあり、キャスティングではそういうところも見るのですが、もう1つ、俳優と役柄への個人的なつながり、俳優のバックグラウンドも考慮します。兄役は27〜28歳の設定なので簡単に見つかると思っていました。弟の方は個性的で若いので、見つけるのは大変だろうと思いました。

 コロナ禍での撮影で、台湾で2週間の隔離生活をした後、初めてリウ・シウフーに会ったのですが、すぐに「彼だ!」と直感しました。まだ新人ですが、彼にはとてもポテンシャルがある。演技クラスに通ってもらい、リハーサルもしました。バックグラウンドも聞いたのですが、彼のお兄さんとの関係も映画と似ていました。最後の、弟が兄のために犠牲になるシーンですが、リウ・シウフーはその気持ちが理解できると言っていて、まさに彼が正解でした。世の中には2種類のタイプがいて、人を傷つける人と人から傷つけられる人がいますが、リウ・シウフーは自分は傷つけられる方でいいという人でした。撮影に入る1年前から関わってもらい、カメラテストもしました。

 そうして弟役は簡単に決まったのですが、その後、兄役を見つけるのはとっても大変でした。22歳から32歳の間の台湾にいる俳優ほぼ全員に会ったのですが、まったく見つかりません。実は私の中では「なんで、兄はサイコパスになったのか?」という質問をされたらNG。それは質問するようなことではなく、そういうサイコパスの人はいるのです。なんでそうなったのかという問題ではなく、そういう人はいる。私には自閉症の兄がいたので、なぜそうなったのかではなく、世の中には様々な人がいるとわかってくれないとダメだと思っていました。

 ヨウニンだけは何も質問せず、ただ信じていました。オーディションを受けた人の中には大袈裟に悪人ぶる人や、善人過ぎる人(監督が身振り手振りでオーバーアクトの様子を表現)がいましたが、ヨウニンはもともと控えめなタイプで、自分を他人にオープンには見せない人だったのです。とても自然体で控えめなので、その抑制している部分をどうやったらわざと抑制しているように見せるか、だけがポイント。まさに、彼はこの役にぴったりでした。

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兄弟役がぴったりのリウ・シウフーとツァオ・ヨウニン

©2Potocol_Flash Forward Entertainment_Harine Films_Elysiüm Ciné

 オーディションでは、スーパーマーケットで弟が兄にお金を渡すシーンをやってもらったのですが、脚本の中には「弟を見て兄が驚いたふりをする」と書いてあります。でも、オーディションではわざとその部分を消した脚本を渡しました。俳優たちは皆、驚いた演技をするのですが、ヨウニンだけは控えめでした。「弟がお金を持って来るのはわかっていたから、そんなにあからさまには驚かないよ」と。それを聞いて、この人は凄い!と、彼に決めました。

 2人の相性もぴったりでした。ヨウニンを兄役に決めてからは、毎回弟役のシウフーに会わせて「どう?」と聞いていたのですが、オーディションで初めて会った時「あの人、何を考えているか全然わからない」と言っていました(笑)。それでいいんです。ヨウニンにも弟がいて、弟のことが大好きなんですが、シウフーにちょっと似ていたそうです」

 やっぱり似ているのね、と納得したところでタイムアップ。印象的なオールディーズの音楽や、ベテラン女優のディン・ニン(丁寧)が演じた母親と舞台俳優でもあるリン・ジーホン(林子恆)が演じた中年男性との恋、母親と2人の息子の関係などなど、ほかにも質問したいことはあったのですが、短い時間なので断念。最後に今後の予定を伺ってみました。

Q:今後、シンガポールで映画を撮る予定はありますか?

 監督「今のところ、3つのビッグプロジェクトが動いていて、2つはアメリカで、1つは韓国で進めています。自分の中でどんなアイデアが浮かぶかはコントロールできないので、その中でシンガポールで撮影したいアイデアが浮かんできたらやりたいと思います」

 ありがとうございました。

ネリシア・ロウ監督

 真っ赤なワンピースに満面の笑顔。早口の英語で質問に答えていく姿はパワフルでエネルギッシュ。取材の前に、テーブルに並んだお菓子をながめ「この中で一番甘いのはどれ?」とスタッフに尋ねるほど甘いものがお好きな様子。愛らしさの中に、確固たる強い信念を秘めているという印象です。キャスティングのお話もじっくりと聞くことができ、通訳さんも一緒に爆笑してしまうほど楽しいインタビューでした。今回は台湾を舞台にデビュー作を作ったネリシア・ロウ監督。これからも世界を舞台に、グローバルな活躍をされていくことでしょう。次回作が楽しみです。

 そして、これから『ピアス 刺心』をご覧になる方や、もう一度観たいという方は、ぜひ兄と弟が手を取り合うシーンやツァオ・ヨウニンの歩き方の変化、苦労した2人のフェンシングシーンなどに注目してご覧ください。

(2025年11月7日 新橋にて単独インタビュー)

祝・続報!
兄弟を演じた注目のイケメン主演俳優2人、リウ・シウフーとツァオ・ヨウニンがなんと、12月14日の舞台挨拶で来日しました。その様子もご紹介しますので、お楽しみに。


P1 < P2 ▲監督インタビュー ▼12.14 来日舞台挨拶 ▼作品紹介 

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profile
ネリシア・ロウ
劉慧伶/Nelicia Low


シンガポールで生まれ育ち、シンガポールのフェンシング国家代表として5年間活躍。2010年の広州アジア競技大会を最後に現役を引退し、子どもの頃からの夢だった映画作りの道へ進む。

2018年、ニューヨークのコロンビア大学で映画監督専攻のMFA(芸術学修士)を取得。短編2作目の『Freeze』は、2016年のクレルモン=フェラン国際短編映画祭でプレミアされ、その後、金馬奨(台湾)、釜山国際短編映画祭(韓国)、ブリュッセル国際短編映画祭(ベルギー)、オーデンセ国際映画祭(デンマーク)、シンガポール国際映画祭をはじめ世界70以上の映画祭で上映された。

これまでに、シンガポール国際映画祭による東南アジアの若手映画作家を支援するプロジェクト「New Waves: Emerging Voices of Southeast Asia director showcase」(2017年) と「Southeast Asian Film Lab」(2018年) に選出され、2019年にはフランスを拠点とする国際的な映画脚本育成プロジェクト「Less is More」に参加。
filmography
・freak(14)*短編
・Freeze(16)*短編
ピアス 刺心(24)
*公式サイト
nelicialow.com
director’s note
2014年、私は台北で短編映画の撮影をしていました。そのとき、一人の若者が台北の地下鉄で複数の人を刺すという、社会を震撼させる悲劇が起きました。その若者の両親は公に息子を非難しましたが、弟だけは兄のそばに立ち続け、兄の行為を完全に否認しました。弟のその反応を見て、私は自分の自閉症の兄との関係を思い返さずにはいられませんでした。

幼いころ、兄の状態を理解できなかった私は、心の中で兄を愛情深く思いやりのある理想の兄として描いていました。しかし大人になって初めて、私たちの関係は私の頭の中で作り上げた幻想にすぎなかったことに気づきました。この気づきが、私に『ピアス 刺心』を書くきっかけを与えてくれました。

私は兄を深く愛しています。しかし、兄が同じように私を思っているかどうかを知ることは、決してできません。それを受け入れることは痛みを伴う旅でしたが、『ピアス 刺心』の中でジージエが歩む道もまさに同じです。 映画の中でも、現実の生活でも、私が自問する問いは変わりません――真実を知ったとき、人の愛情や忠誠心はどのように揺らぐのでしょうか。そして、真実は本当に重要なのでしょうか。