Q:撮影中、一番苦労したことは? また今後、人物に関する映画を作るとしたら、誰でしょう?
監督「1つは資金的なことです。もう1つは、ストーリーの時代背景となっている日本。30年代、40年代の面影が残っている街がほとんどありませんし、当時の雰囲気が出せるように、俳優やエキストラを演技指導するのも難しかった。撮影方法も、日本と中国では違っています。日本では、撮影は『いつ、何時から何時まで』という具体的な制限があります。
また、日本の俳優さんはとてもプロ意識が高く、当日で終わる撮影でも前泊にして現場に入り、いろいろと準備をされているところには感銘を受けました。ただ、中国の監督と日本の俳優さんですので、交流面での難しさも感じました。
今後のことですが、今回の経験で人物を描くのは大変難しいと痛感しましたので、おそらくもう撮らないと思います(笑)」
Q:監督の作品は光や色がきれいですが、中国と日本で違ったところはありますか? また、歴史をテーマにした作品が多いですが、今後、中国の現代を題材にした映画を撮る予定は?
監督「光や色がきれいだとしたら、カメラマン(ウォン・ユー)のおかげです。彼とは、もうずっと長い間コンビで仕事をしていて、前作(『茶馬古道』)の雲南ロケでも撮影してもらいました。私の仕事は、ただ俳優を現場に連れて行っただけ。日本語もわからないし(笑)。
たしかに、これまでずっと歴史ものを撮って来ました。現代の作品はあまり撮りたいと思いません。自分はあまりいいストーリー・テラーではないので、もし撮るとしたら、ドキュメンタリー・タッチにするでしょう。今回の呉清源先生の半生記では、先生の精神面を主に描きたいと思っていました。しかし、私が感じ取った呉清源先生の精神の境地は、御本人の境地のほんの一部です。氷山の一角、せいぜい7〜8%くらいでしょう。この映画の中では、まだまだ本当の魅力は語り尽くせていないと思います」
Q:柄本明さんにどう喝されるシーンでは震え上がっていましたね? 共演された印象は?
チャン・チェンと呉清源老師の豪華ツーショット
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チャン「たしかに、とても緊張していました。実は日本へ来て、最初に撮ったのが柄本明さんとのシーンでした。しかも、彼が演じる瀬越先生は呉清源先生の先生です。僕はというと、どうやってこの芝居に入り、役作りをして行ったらいいかを考えながらだったので、とても緊張しました。
現場での柄本さんは、とてもクールでかっこいいんです。口数は少ないですが、僕自身はよそ者なので、実際交流する時間もあまりなくて、どうしたらいいのかと、すごく緊張しました」
Q:監督にとっての映画音楽とは? この作品で心がけたことは?
監督「どんな作品に対しても、音楽は重要な要素として使っています。私はわりと長い音楽を使うようにしています。映画と音楽とは、溶け込んで一体になっていかなくてはなりません。これまでの私の作品では、『春の惑い』のサウンドトラックCDが中国で発売されています。『呉清源』に関しては、音楽製作にかける時間があまりなかったので、それがちょっと残念なのですが、短い時間の中ではベストを尽くしたと思っています」
Q:映画の完成後、碁についてどのように感じましたか?
呉清源老師に話しかけるチャン・チェン
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チャン「この映画のおかげで、囲碁の世界に接することができましたが、それ以前は何も知りませんでした。囲碁に接してからは、これは1つのゲームですが、とても奥深いゲームだと思いました。囲碁を通じて、自分自身の性格も知ることができました。物事を考える時に、いくつかの考え方が生まれるようになりました。残念ながら、映画が終わってからは、あまり囲碁をやる機会がないので、未だに下手なんです(笑)」
監督「撮り終えてからは、碁石を触らなくなりました。棋譜や新布石、当時の十番碁などいろいろ見て、ある時ふと、囲碁についていろいろわかってきたぞと思う一瞬がありましたが、そのおかげで、囲碁の難しさや奥深さもよくわかりましたし、自分はさし手ではないことにも気づきました。これ以上、触るのは恥ずかしいので、その後は囲碁に触れなくなりました」
会見終了後、いよいよ呉清源さんご本人が車椅子のまま登壇されました。すでに90歳を越えておられますが、映画の冒頭でも観られるように、まだまだご健在。色白で、とても上品なお年寄りになっておられます。映画化にあたっては、「気恥ずかしかったのですが、映画を通じて囲碁の普及や国際親善、ことに日中友好に少しでもお役に立てれば幸甚と思い、お受けした次第です」とのこと。実際の写真をもとに、再現されたシーンも盛り込まれ『呉清源/極みの棋譜』。中国映画ですが、描かれている世界を一番理解できるのは、日本人かもしれません。ぜひ、劇場でご堪能ください。
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