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ASICRO FOCUS file no.83

『呉清源/極みの棋譜』来日記者会見

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左よりチャン・チェン、呉清源先生、ティエン・チュアンチュアン監督(全体を見る
Q:撮影中、一番苦労したことは? また今後、人物に関する映画を作るとしたら、誰でしょう?

 監督「1つは資金的なことです。もう1つは、ストーリーの時代背景となっている日本。30年代、40年代の面影が残っている街がほとんどありませんし、当時の雰囲気が出せるように、俳優やエキストラを演技指導するのも難しかった。撮影方法も、日本と中国では違っています。日本では、撮影は『いつ、何時から何時まで』という具体的な制限があります。

 また、日本の俳優さんはとてもプロ意識が高く、当日で終わる撮影でも前泊にして現場に入り、いろいろと準備をされているところには感銘を受けました。ただ、中国の監督と日本の俳優さんですので、交流面での難しさも感じました。

 今後のことですが、今回の経験で人物を描くのは大変難しいと痛感しましたので、おそらくもう撮らないと思います(笑)」

Q:監督の作品は光や色がきれいですが、中国と日本で違ったところはありますか? また、歴史をテーマにした作品が多いですが、今後、中国の現代を題材にした映画を撮る予定は?

 監督「光や色がきれいだとしたら、カメラマン(ウォン・ユー)のおかげです。彼とは、もうずっと長い間コンビで仕事をしていて、前作(『茶馬古道』)の雲南ロケでも撮影してもらいました。私の仕事は、ただ俳優を現場に連れて行っただけ。日本語もわからないし(笑)。

 たしかに、これまでずっと歴史ものを撮って来ました。現代の作品はあまり撮りたいと思いません。自分はあまりいいストーリー・テラーではないので、もし撮るとしたら、ドキュメンタリー・タッチにするでしょう。今回の呉清源先生の半生記では、先生の精神面を主に描きたいと思っていました。しかし、私が感じ取った呉清源先生の精神の境地は、御本人の境地のほんの一部です。氷山の一角、せいぜい7〜8%くらいでしょう。この映画の中では、まだまだ本当の魅力は語り尽くせていないと思います」

Q:柄本明さんにどう喝されるシーンでは震え上がっていましたね? 共演された印象は?

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チャン・チェンと呉清源老師の豪華ツーショット
 チャン「たしかに、とても緊張していました。実は日本へ来て、最初に撮ったのが柄本明さんとのシーンでした。しかも、彼が演じる瀬越先生は呉清源先生の先生です。僕はというと、どうやってこの芝居に入り、役作りをして行ったらいいかを考えながらだったので、とても緊張しました。

 現場での柄本さんは、とてもクールでかっこいいんです。口数は少ないですが、僕自身はよそ者なので、実際交流する時間もあまりなくて、どうしたらいいのかと、すごく緊張しました」

Q:監督にとっての映画音楽とは? この作品で心がけたことは?

 監督「どんな作品に対しても、音楽は重要な要素として使っています。私はわりと長い音楽を使うようにしています。映画と音楽とは、溶け込んで一体になっていかなくてはなりません。これまでの私の作品では、『春の惑い』のサウンドトラックCDが中国で発売されています。『呉清源』に関しては、音楽製作にかける時間があまりなかったので、それがちょっと残念なのですが、短い時間の中ではベストを尽くしたと思っています」

Q:映画の完成後、碁についてどのように感じましたか?

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呉清源老師に話しかけるチャン・チェン
 チャン「この映画のおかげで、囲碁の世界に接することができましたが、それ以前は何も知りませんでした。囲碁に接してからは、これは1つのゲームですが、とても奥深いゲームだと思いました。囲碁を通じて、自分自身の性格も知ることができました。物事を考える時に、いくつかの考え方が生まれるようになりました。残念ながら、映画が終わってからは、あまり囲碁をやる機会がないので、未だに下手なんです(笑)」

 監督「撮り終えてからは、碁石を触らなくなりました。棋譜や新布石、当時の十番碁などいろいろ見て、ある時ふと、囲碁についていろいろわかってきたぞと思う一瞬がありましたが、そのおかげで、囲碁の難しさや奥深さもよくわかりましたし、自分はさし手ではないことにも気づきました。これ以上、触るのは恥ずかしいので、その後は囲碁に触れなくなりました」

 会見終了後、いよいよ呉清源さんご本人が車椅子のまま登壇されました。すでに90歳を越えておられますが、映画の冒頭でも観られるように、まだまだご健在。色白で、とても上品なお年寄りになっておられます。映画化にあたっては、「気恥ずかしかったのですが、映画を通じて囲碁の普及や国際親善、ことに日中友好に少しでもお役に立てれば幸甚と思い、お受けした次第です」とのこと。実際の写真をもとに、再現されたシーンも盛り込まれ『呉清源/極みの棋譜』。中国映画ですが、描かれている世界を一番理解できるのは、日本人かもしれません。ぜひ、劇場でご堪能ください。


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更新日:2007.11.27
●back numbers

記者会見の表記
司会
監督
(ティエン・チュアンチュアン)
チャン(チャン・チェン)
俳優プロフィール
チャン・チェン
張震/Chang Chen

1976年10月14日、台北生まれ。父親は台湾の名優チャン・グォチュー(張國柱)。父の撮影所見学をしていた時、故エドワード・ヤン監督に見い出され、14歳の時『[牛古]嶺街少年殺人事件』で主演デビュー。その後、ウォン・カーウァイ監督やアン・リー監督、ホウ・シャオシェン監督など、名だたる名監督たちの作品に次々と出演。中国の次世代を担う若手俳優のトップとして注目されている。

最新作はキム・ギドク監督の『Breath』とジョン・ウー監督製作、アレクシー・タン監督の『天堂口』。また、ジョン・ウー監督の初めての中国長編作品『赤壁/Battle of Red Cliff』の撮影も進んでいる。
filmography
・クーリンチェ少年殺人事件
 (91)
・カップルズ(96)
・ブエノスアイレス(97)
・グリーン・デスティニー(91)
・檳榔売りの娘(2000)
・第一次的親密接触(2000)
・天下無雙(02)
・サウンド・オブ・カラー
 /地下鉄の恋(03)
・2046(04)
・愛の神、エロス(04)
・百年恋歌(05)
・詭絲(06)
・呉清源/極みの棋譜(06)
・遠くの空に消えた(07)
・天堂口(07)
・ブレス(07)
・レッド・クリフ (07)
・停車(08)
・1949 *準備中
呉清源プロフィール
1914年、福建省福州生まれ。福州四家と言われる名家の出身で、5歳の頃から二人の兄と共に四書五経の暗記を始める。また、日本留学時代に囲碁を学んだ父の指導で、囲碁も学び始め、瞬く間に才能を発揮。8歳の頃より天才少年として騒がれる。25年、11歳の時に父が他界。その数日前に、父から棋譜を分け与えられる。

瀬越憲作の尽力で、14歳の時に母、兄と共に日本へ移住。来日直後の試験碁の相手は本院坊秀哉名人。二子を置いての対局で、呉清源が四目差で勝ち、日本棋院から三段をもらう。

日本囲碁界でめきめきと頭角を現し、33年には木谷実と共に「新布石」を発表。大ベストセラーとなる。また「打ち込み十番碁」で、当時のトップ棋士をことごとく打ち込み、昭和囲碁界最強の打ち手と呼ばれる。

50年に九段、52年には台湾から「大国手」の称号を贈られた。また86年には、香港中文大学から栄誉文学博士号を贈られている。87年、勲三等旭日中綬賞を受賞。90歳を越えた現在も、小田原の自宅で囲碁の哲理の研究に余念がない。

主な著書
・呉清源囲碁全集(全十巻)
 /文藝春秋新社
・中の精神/東京新聞出版局
・呉清源回想録 以文会友
 /白水社
・二十一世紀の打ち方
 /日本放送出版協会
・呉清源打碁全集(全四巻)
 /平凡社
・21世紀の碁(全十巻)
 /誠文堂新光社