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失われた時の中で

失われた時の中で(Long Time Passing)

監督・撮影:坂田雅子
写真提供:グレッグ・デイビス
     フィリップ・ジョンズ・グリフィス
     ジョエル・サケット
コーディネーター・仏語翻訳:飛幡祐規
撮影:ディディエ・フォンタン
   シルビー・ジャックマン
   ナガヌマ・ヒカリ
サウンドデザイン:小川武
構成・編集:大重裕二
音楽:難波正司
協力:ジャン・ユンカーマン
   VAVA ベトナム枯葉剤被害者の会
資料映像:米国国立公文書館

2022年/日本
日本公開日:2022年8月20日
カラー/DCP/60分/日本語・英語・ベトナム語・フランス語
配給:リガード
©2022 Masako Sakata

poster


documentary

 1970年、京都。ベトナム帰還兵だったグレッグ・デイビスと京都⼤学の学⽣だった坂⽥雅⼦が出会う。1972年、結婚。撮影の仕事で東南アジアを訪れていたグレッグは、1985年からベトナムにたびたび通い、枯葉剤の取材も⾏っていた。2003年4⽉、グレッグは胃の不調、⾜の腫れを訴え、⼊院。わずか20日後の5⽉4⽇、肝臓がんで亡くなった。

 写真家だった夫・グレッグの突然の死。その理由がベトナム戦争時の枯葉剤にあるのではと聞かされた妻・坂⽥雅⼦は夫の⾝に起こったことを知りたい⼀⼼でカメラを⼿に取り、ベトナムへ向かった。そこで⽬にしたのは戦後30年を過ぎてなお、枯葉剤の影響で重い障害を持って⽣まれてきた⼦どもたちと、彼らを愛しみ育てる家族の姿だった。

 それからおよそ20年。ベトナムはめざましい経済発展を遂げたが、枯葉剤被害者とその家族は取り残されている。これまでに『花はどこへ行った』(08年)、『沈黙の春を生きて』(11年) と2本のドキュメンタリーを完成させた監督・坂田雅子は、撮影中に出会った枯葉剤被害者や支援する人々を再び訪れる。

 今なお、枯葉剤の影響で重い障害を持って⽣まれる⼦どもたち。そのケアを担い、家計を⽀えるために進学を断念せざる得ない兄弟。無医村を周り、⽀援活動を続ける医師。アメリカ政府と枯葉剤を製造した企業に対する裁判を起こした元ジャーナリスト。時間の経過とともに明らかになる、戦争が奪ったものと奪えなかったもの。カメラは癒えることのない戦争の傷痕に向き合い続ける⼈々の姿を記録する。

 「私は写真家になる道を選んだ。写真を通じて戦争の前と後を記録する、その⼤切さを伝えたかった。戦争のアクションは誰にだって撮れる。本当に難しいのは戦争に⾄るまでと、その後の⼈々の⽣活を捉えることだ。その中に本当に意味のあることがあるんだ」(グレッグの手記より)


アジコのおすすめポイント:

ベトナム戦争に従軍した後、戦争の愚かさを痛感して報道カメラマンとなり、自らも枯葉剤の影響で亡くなったアメリカ人グレッグ・デイビス。最愛の人を失って、真実を知るために初めてビデオカメラを手に取ったのが、妻であり本作の監督の坂田雅子さんです。これまでに、ベトナムで枯葉剤による被害を追った『花はどこへ行った』(08年)、同じ被害に遭ったベトナム帰還兵とその家族、被害者同士の交流を描く『沈黙の春を生きて』(11年・アジクロシネマでの紹介) と2本のドキュメンタリーを発表。その後は原発問題に目を向けますが、本作で再び枯葉剤被害と向き合い、今のベトナムでの被害者の現状を伝える三部作となっています。「グレッグは彼の死によって、私に新しい生を与えてくれたかもしれません」と語る雅子さん。55歳で初めて映画作りに開眼し、今年で74歳となられますが、試写会でご挨拶されたご本人はとても品のある美しい方でした。そんな雅子さんの、自立できた被害者や今も困難が続く被害者とその家族、苦労する支援者たちへの温かい眼差しと共に、夫グレッグさんへの尊敬と愛情が伝わる作品になっています。ウクライナやその他の情勢で戦争の恐ろしさが身近になった今だからこそ、観ておきたい本作。60分と短いながら、ずしりと響く内容です。

*坂田雅子さんがハノイのVAVAと共に設立・運営している「希望の種」奨学金制度はこちら

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▼公式サイト ▼予告編