documentary
1970年、京都。ベトナム帰還兵だったグレッグ・デイビスと京都⼤学の学⽣だった坂⽥雅⼦が出会う。1972年、結婚。撮影の仕事で東南アジアを訪れていたグレッグは、1985年からベトナムにたびたび通い、枯葉剤の取材も⾏っていた。2003年4⽉、グレッグは胃の不調、⾜の腫れを訴え、⼊院。わずか20日後の5⽉4⽇、肝臓がんで亡くなった。
写真家だった夫・グレッグの突然の死。その理由がベトナム戦争時の枯葉剤にあるのではと聞かされた妻・坂⽥雅⼦は夫の⾝に起こったことを知りたい⼀⼼でカメラを⼿に取り、ベトナムへ向かった。そこで⽬にしたのは戦後30年を過ぎてなお、枯葉剤の影響で重い障害を持って⽣まれてきた⼦どもたちと、彼らを愛しみ育てる家族の姿だった。
それからおよそ20年。ベトナムはめざましい経済発展を遂げたが、枯葉剤被害者とその家族は取り残されている。これまでに『花はどこへ行った』(08年)、『沈黙の春を生きて』(11年) と2本のドキュメンタリーを完成させた監督・坂田雅子は、撮影中に出会った枯葉剤被害者や支援する人々を再び訪れる。
今なお、枯葉剤の影響で重い障害を持って⽣まれる⼦どもたち。そのケアを担い、家計を⽀えるために進学を断念せざる得ない兄弟。無医村を周り、⽀援活動を続ける医師。アメリカ政府と枯葉剤を製造した企業に対する裁判を起こした元ジャーナリスト。時間の経過とともに明らかになる、戦争が奪ったものと奪えなかったもの。カメラは癒えることのない戦争の傷痕に向き合い続ける⼈々の姿を記録する。
「私は写真家になる道を選んだ。写真を通じて戦争の前と後を記録する、その⼤切さを伝えたかった。戦争のアクションは誰にだって撮れる。本当に難しいのは戦争に⾄るまでと、その後の⼈々の⽣活を捉えることだ。その中に本当に意味のあることがあるんだ」(グレッグの手記より)
|