愛弟子にして新人の黄義達(イーダ)の 記事クリップの前で
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あの当時、僕たちはまだ学生で、作曲の締切りはいつも制作会議から一週間後でしたが、僕たちは翌日には曲を仕上げて提出していました。だから局側でもその仕事ぶりが評価されて、たくさんの曲の依頼が僕たちのところにきたのです。
そんな風に二人で創作活動を続けてきたのですが、85年に新加坡電視台(テレビ局)開催の『タレント・タイム』というオーディション番組に僕一人で出場しました。だって、小さい頃から歌うのが大好きだったし、ステージに立つのが夢だったのです。結果は優勝でした。
レコード会社と契約してデビューという話になった時、父が『こうなったら弟の偲菘も一緒に引っ張り込んだらどうだ。双子のユニットなんてどうだい』って言ったのです。それを聞いて『それはなかなか面白いかも』と思い、双子のユニットとして歌手生活がスタートしました。それから93年まで、シンガポールとマレーシアを中心に活動し、多くのアルバムを出しました。」
●台湾デビューからプロデューサーの道へ。
L「その後、台湾でもアルバムデビューすることになり、台湾*へ行きました。この台湾行きで、ステージ上だけでなく、先にも話した様にたくさんの音楽の先輩達と知り合うことができて、彼らに多くの機会*を与えてもらいました。それが、僕らへもうひとつの道への入り口を開いてくれたのです。
台湾・香港の音楽人は、歌手としての僕たちだけでなく、僕たちの作った曲も非常に質が高いと認めてくれ、絶え間なく、作曲やプロデュースの依頼が来るようになりました。そのうちに、自分たちもこういった『裏方』の仕事の方が面白いと思うようになってきたのです。
結果、歌手活動は休止して、創作とプロデューサー業に専念することにしました。なぜかというと、自分達で歌うよりも、全くのゼロから曲を作って、プロデュースしてアルバムを出して、その歌がテレビやラジオから聞こえてきて、最終的に賞を取ったりするということの方に、満足感や達成感を覚えるようになったからなのです。成長とともに興味は移り変わりますからね。
その後、『新しい才能を発掘し、育てる』ということに興味も移ったので、9年前に音楽学校を開きました。」
●音楽学校を開校。そして二人のスターを輩出。
S「李偉菘音楽学校*と、そこから巣立ったアーティスト達についてお聞かせください。また、スターが生まれるまでの過程についても。」
L「ステファニー・スン(孫燕姿)やイーダ(黄義達)は、歌唱クラス出身の学生です。黄義達は、学校を設立した9年前に入学してきました。その後、国民兵役として警官だった時期をはさんで、今年やっと台湾でデビューしました。孫燕姿は、学校ができて3〜4年経った頃に入学したんだったかな?
全世界共通に言えると思うのですが、成功したスターというのは、見かけがいいだけではなく、歌も上手くなければいけないし、作詞・作曲などの才能も必要ですし、演技もできなくてはいけません。そしていわゆる『Xファクター』と、もっと大切なのが『運』。これは難しいですね。『Xファクター』というのは、本人のもののとらえ方やそれを表現する能力や考え方という、個人の成長過程で培われるもの。『運』は見ることができないし、コントロールできませんからね。」
S「彼らは学生の頃から目立っていましたか? そのXファクターなども含めて?」
L「そうですね。これは言葉にできない感覚なのですが。彼らはまず、歌唱クラスでいろいろな歌唱法を学び、その後、作曲を学びました。他にもステージ上での自分の表現方法を学び、校外でのステージ活動にも参加して、学んだことを全てステージの上で発揮するという訓練を積みました。
他にも、自分の個性を表現するための話し方も学びます。これは、ただ単に聞かれた事に答えるだけではなくて、自分自身をどれだけ理解しているか、自分の長所がどこにあるか、自分のどういうところが皆に支持されているのか、そして自分の内面をどうやって言葉で描写するのか、というひとつの技術を習得していくのです。この過程は長いし、決して楽ではなかったはずです。」
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